甲斐の虎の西上作戦「武田信玄」一世一代の勝負
壮年期の徳川家康がしかめた表情をして足を組んでいる「しかみ像」を目にしたことがあると思います。戦上手であった家康が武田信玄に三方ヶ原の戦いで惨敗し、慢心の自戒を込めて描かせたと言われています(諸説あり...
壮年期の徳川家康がしかめた表情をして足を組んでいる「しかみ像」を目にしたことがあると思います。戦上手であった家康が武田信玄に三方ヶ原の戦いで惨敗し、慢心の自戒を込めて描かせたと言われています(諸説あり...
藤原惺窩とは江戸時代の我が国では儒教、とりわけ朱子学が重んじられた事で有名ですが、その基礎が築かれたのは戦国時代の後半を生きた、ある学者によるものでした。その学者こそが、本稿で紹介する藤原惺窩(ふじわ...
卑賎の身分から全国初の天下人となった豊臣秀吉が、覇者・織田信長の衣鉢を継いで、「地方大名統制の強化」・「茶道絵画の保護」・「近世城郭建築・城下町設計の推進」・「全国の鉱山開発」など、政治文化など多方...
日明貿易と寧波の乱日明貿易は室町幕府第3代将軍・足利義満と明の間で1401年(応永8年)から始まった朝貢貿易で、貿易船の身分を勘合符で証明したことから、勘合貿易とも呼ばれています。そもそも日明貿易は歴...
信長包囲網京を追われ中国地方の毛利輝元の庇護を受けていた将軍・足利義昭。毛利輝元に信長包囲網への参加を再三にわたり要請し、第三次信長包囲網を築こうとします。この段階で織田と毛利は敵対関係になかったため...
織田信長(おだ のぶなが)は、斬新な数々の政策や戦術を駆使して、戦国の世を駆け抜けた人物ですが、ここでは織田信長の家臣団にスポットを当てていきます。織田家臣団は実力主義か?織田信長の家臣と言えば、羽柴...
筆者が、今まで執筆させて頂いた記事群で、しばしば「有力戦国武将の戦力」と「港(湊)の存在」という経済的関係性を記述させて頂いております。その数例を挙げさせて頂くと、以下の通りです。1.「織田信長は、...
『職人。じつにひびきがいい。そういう語感は、じつは日本の文化そのものに根ざしているように思われるのである。』 『日本は、世界でもめずらしいほど職人を尊ぶ文化を保ちつづけてきたが、そういうあたり、近隣...
忍者とは忍者と聞いて真っ先に思い出すのは、伊賀忍者の服部半蔵(服部正成)ではないでしょうか。服部半蔵(服部正成)は、戦国時代から江戸時代にかけて松平氏から徳川氏の家臣として活躍しました。実は、服部半蔵...
歴史作家・司馬遼太郎先生が著作『歴史を紀行する』(文藝春秋)の中で、戦国期に諸大名を怖れさせた本願寺勢力(一向一揆衆)のことを『かつてなかった民衆の全国組織』とお書きになられていますが、その大組織を...