表裏比興の大決戦!~第一次上田合戦の解説
天正壬午の乱1582年(天正10年)3月に織田信長・徳川家康・北条氏政の侵攻を受けて、真田家の主君・武田氏は滅亡。3ケ月後の1582年(天正10年)6月に明智光秀の謀反による本能寺の変で織田信長と嫡男...
天正壬午の乱1582年(天正10年)3月に織田信長・徳川家康・北条氏政の侵攻を受けて、真田家の主君・武田氏は滅亡。3ケ月後の1582年(天正10年)6月に明智光秀の謀反による本能寺の変で織田信長と嫡男...
卑賎の身分から全国初の天下人となった豊臣秀吉が、覇者・織田信長の衣鉢を継いで、「地方大名統制の強化」・「茶道絵画の保護」・「近世城郭建築・城下町設計の推進」・「全国の鉱山開発」など、政治文化など多方...
日明貿易と寧波の乱日明貿易は室町幕府第3代将軍・足利義満と明の間で1401年(応永8年)から始まった朝貢貿易で、貿易船の身分を勘合符で証明したことから、勘合貿易とも呼ばれています。そもそも日明貿易は歴...
信長包囲網京を追われ中国地方の毛利輝元の庇護を受けていた将軍・足利義昭。毛利輝元に信長包囲網への参加を再三にわたり要請し、第三次信長包囲網を築こうとします。この段階で織田と毛利は敵対関係になかったため...
織田信長(おだ のぶなが)は、斬新な数々の政策や戦術を駆使して、戦国の世を駆け抜けた人物ですが、ここでは織田信長の家臣団にスポットを当てていきます。織田家臣団は実力主義か?織田信長の家臣と言えば、羽柴...
筆者が、今まで執筆させて頂いた記事群で、しばしば「有力戦国武将の戦力」と「港(湊)の存在」という経済的関係性を記述させて頂いております。その数例を挙げさせて頂くと、以下の通りです。1.「織田信長は、...
『職人。じつにひびきがいい。そういう語感は、じつは日本の文化そのものに根ざしているように思われるのである。』 『日本は、世界でもめずらしいほど職人を尊ぶ文化を保ちつづけてきたが、そういうあたり、近隣...
忍者とは忍者と聞いて真っ先に思い出すのは、伊賀忍者の服部半蔵(服部正成)ではないでしょうか。服部半蔵(服部正成)は、戦国時代から江戸時代にかけて松平氏から徳川氏の家臣として活躍しました。実は、服部半蔵...
戦国最強と謳われた上杉謙信(旧名:長尾景虎 1530~1578)は、天才的な戦才に匹敵するほどの持ち前の商才を活かし、支配した越後国(現:新潟県)の特産物の青苧の販売権、国内に有する直江津/柏崎など...
上杉景虎(うえすぎ かげとら)は北条氏康の七男として天文23年(1554年)に生まれ、後に越後の戦国大名上杉謙信の養子になりました。上杉景虎の幼名は西堂丸もしくは竹王丸、元服して三郎と名乗ったと言われ...