松平信康をわかりやすく2分で解説【どうする家康】岡崎・若宮八幡宮にある松平信康の首塚(松平信康の墓)

松平信康とは

松平信康 (まつだいら-のぶやす)は戦国時代の武将で、徳川家康の嫡男として1559年に生まれた。
母は正室・関口親永の娘(瀬名義広の娘)である築山殿(瀬名姫)で、徳川家康がまだ今川家の人質だった時代に誕生したと言える。
同じ母が産んだ妹に亀姫、異母弟に結城秀康徳川秀忠松平忠吉武田信吉松平忠輝徳川義直徳川頼宣、徳川頼房などがいる。

1560年、桶狭間の戦いにて織田信長今川義元を倒すと、徳川家康(松平元康)は三河・岡崎城に復帰。
駿府に残っていた築山殿(瀬名)と松平信康(竹千代)らは、松平氏重臣の石川数正が駿河の今川氏真を説得し、鵜殿氏長鵜殿氏次と築山殿と子供らの人質交換が行われ、三河・岡崎城に入った。

父・徳川家康が尾張・清洲城の織田信長と「清洲同盟」を結ぶと、1567年5月、松平信康(9歳)は織田信長の娘・徳姫(9歳)と結婚し、岡崎城にて暮した。
そのため、徳川家康は浜松城に移っている。
松平信康の「信」の字は、元服した際に織田信長から与えられたものとなる。
1573年に初陣を果たし、17歳(1575年)に長篠の戦いでは武功を挙げた。
1577年、遠江・横須賀城の戦いで、岡崎三郎信康は岡崎衆を率いて殿(しんがり)を務めると武田勢の進軍を食い止め、遠江・小山城への攻撃にも参加した。
このように勇猛果敢な若武者として育っていたが転機が訪れる。





三河物語によると、妻にしていた織田信長の娘・徳姫と、同居していた姑の築山殿との仲が悪く、1579年、徳姫は父・織田信長に12箇条の手紙を書き送ったと言う。
徳川家の重臣・酒井忠次が書状を織田信長のもとに送り届けたと言うが、その中に築山殿が武田勝頼と内通したともあり、織田信長は松平信康の切腹と、筑山殿の処刑を徳川家康に要求した。(諸説あり)
最新の見解としては、酒井忠次を中心とした家臣との確執による陰謀説が有力ともされているようだ。

築山殿は二俣城へ送られる途中、浜松城近くの佐鳴湖畔にて岡本時仲と野中重政により殺害された。

その後、松平信康(徳川信康)も、幽閉先と決まった二俣城に送られる事となったが、かなりゆっくりとした行程でもあったため、父・徳川家康は「逃げるチャンス」を与えたとも考えられる。
しかし、松平信康は命をしっかり守り二俣城にて大久保忠世に無実であると釈明すると切腹し21歳の若さで果てた。
服部半蔵(服部正成)が介錯を務める予定だったが涙で打ち損じ、代わり天方道綱が介錯を行ったとされる。

事件の責任をとり、傅役の平岩親吉は自ら蟄居・謹慎したが、のち徳川家康に許され松平信康の旧家臣を引き受けた。

それからさらに9月15日、二俣城に幽閉されていた信康に切腹を命じた。

松平信康の首塚は岡崎の若宮八幡宮、また胴塚としては二俣城の近くの清瀧寺
服部半蔵が建てた供養塔は、服部家の菩提寺である東京・西念寺、大久保忠世が建てた小田原の万松院にもある。

松平信康の首塚

松平信康の首塚は岡崎の若宮八幡宮にある。
若宮八幡宮の本殿から右奥に建物脇に安置されている。

松平信康の首塚

首は織田家による首実検のため岡崎へ差し戻されたと言う。
その後、清水万三郎によって埋葬されたが岡崎城内にて種々の怪異変化が度び重なったので人々は恐れたともある。
石川数正が岡崎城主の際に、供養塔として首塚を建てたようだ。

松平信康の首塚

ただし、織田信長に遠慮して社名を公にできず「若宮八幡宮」と改名されたのは近世になってからとの事。

岡崎の若宮八幡宮

いずれにせよ、松平信康の胴塚は切腹した二俣城近くにあり、首塚が浜松ではなく岡崎にあると言う事は、織田家の命を受けて自刃させられたと言う事は間違いなさそうだ。
誰が、織田家の命を受ける形にもっていったのか?と言う部分は諸説ある訳だが・・・。

岡崎の若宮八幡宮への交通アクセス・行き方だが岡崎の若宮八幡宮への交通アクセス・行き方だが、名鉄・東岡崎駅から1.4km、徒歩20分くらいの距離。

境内に数台の駐車場が確保されているが、入口にあたる駐車場は月極になっているのでその月極駐車場に進入して一番奥へと進むと境内の駐車場と言う感じになっている。
その駐車場入口を、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

瀬名姫の首塚や岡崎城などとセットでどうぞ。

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