どうする家康・関口家の侍女「たね」は河井氏の娘か?検証してみた

たね

2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」にて関口家の侍女として瀬名姫などを世話する女性「たね」が登場します。
この「たね」は俳優(女優)の豊嶋花さんが演じられますが、瀬名と命運を共にする少女と言う役どころになっています。
徳川家康(松本潤さん)の正室・瀬名(有村架純さん)の侍女が「たね」と言うことで、この女性は実在したのか?、調べてみました。

NHK「どうする家康」によりますと「たね」と言う侍女は下記のように説明されています。

名門・関口家の侍女として、瀬名の世話をする。
徳川家康が織田方に転じたことで、瀬名と共に捕らわれの身となる。
武家の娘らしく、信念を持ち義理堅く、苦しい中でも瀬名やその子たちを献身的に支え続ける。

と言う事で「たね」は瀬名を支えた侍女と言う事なのですが、今川義元が1560年に討死する以前から、今川家の家臣の娘であったと言う設定のようです。
ただし、侍女として出されていることから、家臣といっても身分は低いほうの武家であったと推測できます。

なお、なんとか史実にて知られている瀬名姫(築山殿)の侍女としては下記の数名がいます。

於万の方

築山殿の侍女「お万」が徳川家康と関係を持ち、天正2年(1574年)に於義丸(結城秀康)を生んでいます。
侍女が身ごもったのを知った築山殿は、嫉妬して於万を浜松城内の木に縛って折檻したと言う話もあります。
この「お万」に関して、どうする家康では配役が松井玲奈さんとなっています。
要するに「たね」(豊嶋花さん)と「お万」が一緒に瀬名に仕えている場面も多くあることでしょう。

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河井某の娘

瀬名姫(築山殿)の侍女だったと言う河井氏の娘は、野中重政、岡本時仲らによって岡崎城から瀬名を浜松城に連れて行く際に同行した侍女とされます。
しかし、瀬名は佐鳴湖付近にて処刑されました。
このとき、あとを追って佐鳴湖に入水して殉死したのが、この河井某の娘と言う事になっています。

伊奈忠基の娘

河井某の娘とは別に伊奈忠基の娘も瀬名の侍女であったと言う話もあります。
ただし、伊奈忠基の娘と河井某の娘は同一人物とする説もあります。
伊奈忠基の娘の場合にも、築山殿が殺害されると殉じた言う事になっています。

この父・伊奈忠基は信濃国伊那郡出身の伊奈氏となりますが、三河・小島城(愛知県西尾市)にて松平広忠・徳川家康に仕えていました。
嫡子・伊奈忠次は徳川家の官僚として有名ですので、伊奈忠次の兄弟が侍女だったとされる伊奈忠基の娘と言う事になるでしょう。
伊奈忠基と伊奈忠次は、松平元康に付けられた家来となっていたようで、松平信康が自刃となると伊奈氏は出奔しています。
その後、1582年に本能寺の変となり、堺を遊覧中だった徳川家康の伊賀越えに小栗吉忠らと伊奈忠次も貢献し、徳川家に帰参を許されています。

どの侍女がたねなのか?

侍女はもっと人数がいたと思いますが、わかっているのは上記3名くらいです。
お万も伊奈忠基の娘も三河出身のため「たね」には該当しないと思われます。
となると「たね」のモデルがいたとしたら、河井某の娘と言う事になるでしょうか?

今川家の家臣で河井氏と言うと、掛川北部の遠江・松葉城主である河井成信・河井宗忠などが見受けられますが今川氏親の時代なのでちょっと古いです。
今川氏真の時代には河井正徳や河井与四郎(川井与四郎)がいます。
河井正徳に関しては鉄砲の名人とあり、三河・吉田城の戦いの際に、徳川十六神将のひとりにもされる蜂屋貞次(蜂屋半之丞貞次)を討ち取ったとあります。
逆に河井正徳の弟・河井内膳は徳川家の内藤正成に討ち取られました。

河井与四郎(川井与四郎)は今川氏真の側近でした。
1569年、徳川勢となっていた遠江・久野城久野宗能が掛川・金丸山砦に入っていたのですが、その一族に河井与四郎(川井与四郎)が接触しています。
徳川勢が掛川城を攻撃していた時期になりますが、金丸山砦にいた久野氏の一族である、久野宗明(久野八右衛門宗明)・久野佐渡守宗憲・久野弾正忠宗政・久野采女宗常・久野宗信(久野将監宗信)・久野日向守宗成・本間十右衛門らに対し、河井与四郎(川井与四郎)は徳川家康を暗殺するように(今川勢に味方して蜂起するようにとも)と説得しました。
久野一族は当主・久野宗能を討って今川氏真に味方しようとしたので、納得がいかなかった一族の久野宗信は本間長季(本間五郎兵衛長季)を派遣して徳川家康にこの話を伝えたともされます。
そのため、徳川勢の菅沼定盈・松平忠正・植村家政(植村家存)・三宅康貞らが金丸山砦の鎮圧に派兵されて久野宗常は自害、久野弾正忠宗政ら一族は追放されたとあります。
その3ヶ月後、今川氏真は掛川城を開城し、今川氏は滅亡と言う事になっています。

このように今川家には何名かの河井氏がいますが、築山殿の侍女となっていた河井氏の娘がどの武将の娘なのかは不明といったところです。

なお、瀬名(築山殿)には生存説もあり、侍女が身代わりとなって死に、瀬名は尼となって余生を過ごしたと言う話もあります。
大河ドラマでは、そのような説を取ることはないとは存じますが・・・。

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