井伊直政とは
井伊直政 (いい-なおまさ) は戦国時代の武将で遠江・井伊谷城主である井伊直親の嫡男として1561年に生まれた。
母は奥山朝利の娘・ひよ。
父・井伊直親は今川家から命を狙われたため、信濃・松源寺に逃れていたが、井伊直虎の父・井伊直盛の養子となった。
しかし、1560年、桶狭間の戦いで今川義元が討たれた際に、井伊直盛も討死。
養子となっていた父・井伊直親が家督を継いだが、家老・小野道好(小野但馬守、小野政次)の讒言もあり今川氏真への謀反を疑われた。
そのため、弁明に駿府へ向かう途中、掛川城の近くにて朝比奈泰朝に待ち伏せされ討死している。
その後、井伊谷城は中野直由が預かっていたが、1564年、飯尾連龍の引馬城の戦いにて討死し、城主がいなくなったため、井伊直盛の娘・次郎法師(井伊直虎)が女性ながらも当主となっている。
1568年、家老・小野但馬守(小野政次)は更に井伊直政の命も狙おうとしたため、7歳前後の井伊直政(虎松)は三河・鳳来寺にて出家した。
その後、母・ひよが、徳川家臣・松下清景に再嫁すると、虎松(井伊直政)は連れ子として松下清景の養子となっている。
すると浜松城近くで徳川家康と面会の機会を得て、容顔美麗だった井伊直政は井伊家の再興と井伊谷の領有の許可をもらい徳川家康の小姓となった。
以後、本多忠勝、榊原康政などと徳川勢の旗本先手役として見られる。
2023年NHKの大河ドラマ「どうする家康」(主演:松本潤さん)では俳優の板垣李光人 (いたがきりひと) さんが若き井伊直政の役として演じられる。
1582年、井伊直政は22歳で元服し、本能寺の変の際には本多忠勝らと堺を見物しており、三河・岡崎城へ神君伊賀越えにも同行した。
そして、武田勝頼亡き後の武田旧臣約120名を召し抱え、武田家の兵法を取り入れて山県昌景を参考に「井伊の赤備え」を構成している。
1583年、松平康親の娘・花(唐梅院)が徳川家康の養女となって井伊直政に嫁いだ。
1584年、小牧・長久手の戦いでは鉄砲隊を駆使して森長可らと対し武功をあげた。
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めでは唯一夜襲をかけ小田原城内にまで攻め込んだ武将としても知られる。
徳川家康が江戸城に移封となると、井伊直政は上野・箕輪城12万石となり、徳川家臣の中で最高石高を得ている。
1598年、高崎城を改修して本拠を移し、外交では黒田官兵衛(黒田如水)・黒田長政の父子らを徳川勢に引き入れている。
1600年、関ヶ原の戦いでは、本多忠勝らと東軍の軍監として徳川家康の本陣近くにあり、西軍の京極高次、竹中重門、加藤貞泰、稲葉貞通、関一政、相良頼房、犬童頼兄らを東軍に寝返られる交渉を担った。
関ヶ原の本戦では松平忠吉(徳川家康の4男)を後見し、福島正則と先陣を争う形で戦いの口火を切ったことが知られる。
石田三成の敗走を受けて中立の立場だった島津義弘が中央突破して撤退開始すると追撃。
島津豊久を討ち取ったが、必死で逃げる島津勢の柏木源藤に足を鉄砲で討たれて、井伊直政は落馬した。
これらの武功で、井伊直政は石田三成の旧領になる近江・佐和山城18万石となっている。
ただし、佐和山城は破却して、新しく彦根城の築城を開始。
しかし、関ヶ原での鉄砲傷が死因となり1602年に井伊直政は死去した。享年42。
子の井伊直勝が彦根藩主になったがまだ若年であり木俣守勝・鈴木重好ら家老が補佐した。
井伊直勝は家臣団をまとめ切れず、のち安中藩に移ると、大坂の陣の際に真田丸にて真田幸村と戦った次男・井伊直孝が彦根藩を継いでいる。
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