鳥居忠吉とは
鳥居忠吉(とりい-ただよし)は戦国時代の武将で、渡城主・鳥居忠明の子として生まれた。(生年不詳)
2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」では鳥居忠吉を俳優のイッセー尾形さんが演じられる。
若き松平清康が三河・岩津城から三河・岡崎城に進出したころ、鳥居忠吉も松平氏に従ったものと考えられる。
しかし、1535年、守山崩れにて松平清康が命を落とし、松平広忠に引き続き仕えた。
1547年、長男・鳥居忠宗は松平広忠と松平信孝との渡の戦いで孤軍奮闘するも討死。
1549年、松平広忠も死去すると、幼い竹千代(徳川家康)は駿府に送られていたため、三河・岡崎城の城主には今川家から派遣された武将になった。
そのため、鳥居忠吉と阿部定吉らが総奉行として松平家の家臣らを取り仕切ったようだ。
ただし、税収は今川義元にも取られていたようで、松平氏の家臣らの生活は厳しかったようである。
しかし、徳川家康が立派な君主となってた岡崎城に戻れるよう、鳥居忠吉らは倹約に務めると秘かに物資を蓄え、一層団結したようだ。
これが三河武士は忠義心が強いという言われであろう。
1551年、13歳になった3男・鳥居元忠が駿府に赴き、松平竹千代の近侍になっている。
1556年、松平元信が、三河・岡崎城への一時帰国を許された際、鳥居忠吉は城内の倉に案内し大量の金銭・米俵・武具を見せ、役立ててほしいと伝えたとされる。
1560年、桶狭間の戦いの際に、鳥居忠吉は松平信康(徳川家康)の軍勢として参じている。
なお、今川義元が討死したあと、岡崎・大樹寺を軽油して三河・岡崎城に入った徳川家康に、蓄えた財を見せて感謝されたともある。
このように、蓄財した話は色々と諸説ある。
ただし、この時すでに鳥居忠吉は既に老臣だったようで、1563年、三河一向一揆では老骨に鞭打って、鎮圧に活躍したようだ。
1572年、鳥居忠吉が死去した歳には80歳を超えていたとされる。
墓所は不退院(愛知県西尾市)。
前述したとおり、長男は他界しており、次男・本翁意伯は出家して不退院の住職であったため、3男・鳥居元忠が家督を相続し、引き続き忠義を貫く。
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