山田八蔵(山田重英)を1分で解説【どうする家康】史実の山田八蔵は?

山田八蔵(山田重英)とは

山田八蔵(やまだ-はちぞう)は戦国時代の武将。
徳川家康の重臣である鳥居久兵衛の家来として、三河・岡崎城松平信康に仕えていた。
尾張源氏の一流である山田氏の末裔とされる。

2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」では山田八蔵役を、アメリカで俳優として活躍している米本学仁さんが演じられる。





山田八蔵は三河の柿碕村古屋敷の城主(館主)で、三河一向一揆では佐々木の上宮寺に籠った。

1575年、岡崎町奉行の大岡弥四郎(大賀弥四郎)が松平新右衛門らと真田昌幸を通じて武田勝頼に内通。
このとき、山田八蔵が武田家への密使になったとされるが罪悪感を感じ、僧侶の隋風(天海)に諭されて改心する。
そして、近藤利用とともに徳川家康に大岡弥四郎の謀叛を密告した。

忠節が認められた山田八蔵は碧海郡柿崎にて500石加増となっている。

三河国二葉松(みかわのくにふたばのまつ)と言う書物によると、1588年、渥美館の渥美弥三郎と喧嘩して山田重英(やまだ-しげふさ)は殺害されたと言い、柿碕町に山田八蔵の塚がある。
所領は没収されたが、1589年に養子の山田重次が仇討ちを成功させたため、300石を得て子孫は徳川家の旗本として存続した。

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