山田新右衛門(山田元益)をわかりやすく解説【どうする家康】今川勢に属した岡崎城の城代

山田新右衛門(山田元益)とは

山田元益 (やまだ-もとます) は戦国時代の武将で生年は不明だが駿河出身。
父は山田長益とされ、母は不詳。
今川義元に仕えていた那古野・今川家の家臣で竹千代を教育した熱田の日秀善光上人(日秀妙光尼、山田藤蔵の娘)の従弟ともされる。

2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」ではお笑いタレントの天野ひろゆきさんが山田新右衛門(やまだしんえもん)を演じられた。
天野ひろゆきさんは愛知県岡崎市出身のため抜擢され大河ドラマにはサプライズ出演となった次第だ。

若き徳川家康が駿府にて今川家の人質となっていたため、三河の岡崎城には今川家から代理の武将が送られていた。
この岡崎城代として今川家が派遣した山田氏としては同族?とも思われる山田景隆(山田新次郎景隆)や、他にも朝比奈泰能、三浦義保、糟谷備前らの名もあるため数年単位で交代になったいたと推測される。

山田新右衛門(山田元益)に関しては1551年に松平元康(徳川家康)が墓参りのため岡崎城に帰参した際の城代だったと言う。
松平元康(徳川家康)は、岡崎城にいた山田元益に挨拶したが、本丸に入るのは遠慮して二の丸にて過ごしたと言う。
本来であれば岡崎城は徳川家康の持ち城であったわけだが、この事を聞いた今川義元は「分別に富んだ少年だ」と称賛したとされる。

1560年、桶狭間の戦いの際にも岡崎城は山田新右衛門(山田元益)が預かっていたようだ。
織田信長によって今川義元が討たれると、山田元益は僅かな配下と共に桶狭間に進軍したようで討死したとされている。

結果的に、三河・岡崎城から今川勢がいなくなり、徳川家康は岡崎城になんなく復帰できる幸運な状態となった。

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