「肥前の熊」龍造寺隆信の誤算~沖田畷の戦い
龍造寺隆信戦国時代の1578年(天正6年)耳川の戦いで島津義久に大敗した大友宗麟。この大敗を機に大友宗麟に不満を抱いていた庶家や家臣の離反が相次ぐこととなる。九州最大の勢力を誇り、西日本の一部も掌握し...
龍造寺隆信戦国時代の1578年(天正6年)耳川の戦いで島津義久に大敗した大友宗麟。この大敗を機に大友宗麟に不満を抱いていた庶家や家臣の離反が相次ぐこととなる。九州最大の勢力を誇り、西日本の一部も掌握し...
前々回と前回と続いて公開させて頂いた記事では、日本戦国期の主人公・戦国大名に匹敵する勢力『国衆(地元の殿様)』について記述しました。 国衆は、自身の家中(家臣団・軍事力)を有し、複数の領地(農地農村...
16世紀全般の戦国期、日本に数多存在した村落その集合体である郡に割拠、独自の一門・譜代・被官から構成される「家中=独自の軍事力」を有し、一円的/排他的に領地支配をしていた領域権力者こと『国衆』。 国...
八幡大菩薩の旗を掲げた代表的な戦国大名は武田信玄です。ドラマでも『疾如風 徐如林侵掠如火 不動如山』と書かれた風林火山の旗とともによく見かけます。また河越野戦で有名な北条綱成も『八幡』と書かれた黄色に...
2023年(令和5年)のNHK大河ドラマ『どうする家康』にて、松本潤さんが小心にして優柔不断な性格でありながら、幾多の至難を乗り越えて成長してゆくという新たな徳川家康を好演され話題となっています。 ...
織田信長と言えば英雄的な事績のみならず、短気や猜疑心、凝り性、執念深さと言った短所も少なからず伝わっていますが、そうしたマイナスの部分が事件を解決した逸話が存在します。その事件の中心人物が、本項で紹介...
北畠親房(きたばたけ ちかふさ)は1293年に生まれた南北朝時代の公卿であり史家です。息子の顕家は鎮守府大将軍として南朝方で戦った名高い武将です。 親房は南朝の勢力拡大のために常陸国(茨城県)に上陸...
大大名・大内義隆室町幕府の重臣だった第15代当主・大内義隆(おおうち よしたか)は、覇気に溢れて勢力拡大にも意欲的だったため、大内氏の全盛期を迎えることになる。周防を本拠地に北九州(豊前・筑前)から中...
壮年期の徳川家康がしかめた表情をして足を組んでいる「しかみ像」を目にしたことがあると思います。戦上手であった家康が武田信玄に三方ヶ原の戦いで惨敗し、慢心の自戒を込めて描かせたと言われています(諸説あり...
藤原惺窩とは江戸時代の我が国では儒教、とりわけ朱子学が重んじられた事で有名ですが、その基礎が築かれたのは戦国時代の後半を生きた、ある学者によるものでした。その学者こそが、本稿で紹介する藤原惺窩(ふじわ...