土屋重治をわかりやすく1分で解説【どうする家康】家康の窮地を救った三河武士

土屋重治とは

土屋重治(つちや-しげはる)は戦国時代の武将で土屋惣兵衛の子として1520年に生まれた。
子に土屋重信、土屋重利、土屋重成がいる。
2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」では、俳優の田村健太郎さんが土屋長吉重治の役で演じられる。

土屋氏相模・土屋氏館が発祥で、平安時代末期の中村党・土屋宗遠の子孫となる。

父・土屋惣兵衛は松平広忠(徳川家康の父)に仕えていたようで、土屋重治(土屋長吉重治)は徳川家康の家臣になっていた。
<注釈> 土屋重治自身の通称も惣兵衛とされる。

永禄6年(1563年)三河一向一揆になると、土屋重治は子供らとは徳川勢として戦っている。
永禄7年(1564年)勝鬘寺の一向一揆が大久保忠勝・大久保忠世らが守備した上和田砦を攻撃。
このとき土屋重治・筒井甚六郎ら10騎が援軍として派遣され、大久保勢は一向一揆勢を針崎野まで退かせた。
ただし、一向宗徒側の援軍も到着し、土屋重治は反撃を受けて討死したと言う。

なお、徳川実紀などでは、土屋重治は本證寺などの一揆勢に加わっていたが、上和田砦攻めのときにみずから出陣した徳川家康を見かけて、主君・徳川家康を守ろうとして窮地を救ったため戦死したと言う事になっている。
そして、徳川家康は石川家成に死骸を探させて、遺体の手を取ると嘆き悲しみ手厚く葬ったと伝わる。

実際に、徳川家臣は一向一揆についた武将も多かったが、徳川家康の姿を見ると主君には逆らえないとして逃げ出して戦線離脱したり、

家督は嫡男・土屋重信が継いだが、1570年、姉川の戦いで討死している。

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