稲葉通重の解説~美濃・清水城として関ヶ原の戦いを乗り越えるも筑波に流罪となった戦国大名

稲葉通重とは

稲葉通重(いなばみちしげ)は戦国時代の武将で生年不詳。通称は新左衛門。甲斐守。
父は美濃・清水城の稲葉重通(稲葉一鉄の庶長子)で、母は吉田浄忠の娘。
兄弟に牧村利貞、稲葉道通、稲葉正成の妻などがいる。

基本的には稲葉一鉄(稲葉良通)に従っていたと考えられ、父と共に小牧・長久手の戦いや九州攻めにも参じたようだ。
本能寺の変のあと、春日局(斎藤利三の娘)は成人するまで養父・稲葉重通の美濃・清水城にて過ごしたと見られ、成人すると京の三条西公国から養育を受けた。

父・稲葉重通は1588年に1万2000石で美濃・清水城主となり、晩年は豊臣秀吉の御伽衆となるも慶長3年(1598年)10月3日に死去。
家督を稲葉通重が継いだ。

1600年、関ヶ原の戦いで最初石田三成に味方するも、叔父で郡上八幡城稲葉貞通と一緒に徳川家康の東軍に寝返った。
そのため所領を安堵されたが、慶長12年(1607年)6月24日に問題を起こす。

織田有楽嫡の子・織田頼長と、山城御牧藩の津田高勝(津田信成)や旗本・天野雄光らと共に京都の祇園に赴いた。
そのとき、茶屋四郎次郎もしくは後藤長乗の女房を始めとする美女7~8名を茶店に連れ込んで酒を飲ませたり、従者を木に縛り付け、刀を抜いて斬り捨てると脅したりなどの乱暴狼藉を働いたと言う。
そのため、江戸幕府は改易(所領没収)とし、美濃・清水藩主の稲葉通重は常陸国筑波に流罪とした。
清水藩は廃藩となっている。
他にも阿部右京某、矢部善七某、澤半左衞門某、岡田久六某、大島雲八某、野間猪之助某、浮田才壽某などの武士が処分されているが、このメンバーに監視はよくわからない。

元和4年(1618年)6月、稲葉通重は筑波にて死去。
嫡男・稲葉通勝は同じ一族である稲葉正勝の家臣になったと言う。

しかし、稲葉通重は筑波のどこで蟄居・謹慎していたのだろうか?
筑波の沼田には稲葉酒造さんもあるのでとても気になる。

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