久松長家(久松俊勝)のわかりやす解説~於大の方の再婚相手である尾張・坂部城主

久松長家(久松俊勝)

久松長家(久松俊勝)は戦国時代の武将で1526年に久松定義の子として生まれた。
通称は久松弥九郎、久松佐渡守。はじめは久松定俊、次に久松長家、最後に久松俊勝と称したようだ。

2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」では俳優のリリー・フランキーさんが久松長家(久松俊勝)を演じられる。
大河における久松長家のキャッチコピーは「適当こそわが人生・家康の義父」と言う事なので適当に徳川家康を支えて行くのであろうか?
家族を支えるために徳川家に転がり込み、やがてヒモ同然で暮らすともある。

実際の久松氏は尾張・坂部城(阿久比城) にて7000貫を領し尾張守護・斯波家に従っていたようだ。
やがて斯波氏の家臣・織田信秀が台頭すると久松俊勝は織田家に臣従。

久松長家(久松俊勝)は、刈谷城の水野氏から妻を迎えた。
そして、生まれた久松信俊は、松平広忠(徳川家康の父)の仲介にて敵対していた佐治対馬守の娘を妻にすることで、1546年、尾張・大野城の佐治氏とも和議を結んでいる。

更に、1547年、前妻が亡くなっていたのか、久松長家(久松俊勝)は於大の方(徳川家康の母)を継室に迎えた。
水野忠政の娘・於大の方は、松平広忠に嫁いで1543年に徳川家康を産んでいたが、於大の方の兄・水野信元今川義元から離反して織田信秀に寝返ったこともあり、水野家と関係が悪くなり松平家から離縁されられていたのだ。

久松長家(久松俊勝)と於大の方の間には3男3女が誕生しており、1560年桶狭間の戦いのあと、徳川家康が今川氏真から独立を果たし、織田信長と清洲同盟結ぶと、久松俊勝と於大の3人の子は、松平姓を与えられて久松松平家となり徳川家臣となっている。
また、久松長家(久松俊勝)は徳川氏の三河統一に貢献し、上ノ郷城を与えられている。

ただし、久松長家(久松佐渡守俊勝)は三河・岡崎城に詰めて留守居を担ったようで、上ノ郷城には嫡子・松平康元が入った。
坂部城(阿久比城)には庶長子・久松信俊が残ったが、織田領内と言う事で佐久間信盛の指揮下に加えられている。
その後、1577年、佐久間信盛の讒言にて久松信俊は自害し所領も没収された。

1587年、久松俊勝(ひさまつ-としかつ)は死去。享年62。

徳川家康が江戸幕府を開くと、久松松平家の嫡流・松平康元は、下総・関宿城に2万石となっている。

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