松平昌久のわかりやすいちょっと解説~松平氏宗家の座を狙った大草松平家の当主

松平昌久とは

松平昌久(まつだいら まさひさ)は戦国時代の武将で三河・岡崎城(明大寺旧城)主である松平昌安の子。

室町時代後期の1455年頃には、三河国仁木氏の守護代・西郷稠頼が明大寺付近(東岡崎駅)に岡崎城(平岩城・明大寺城)を築いていた。

一方で松平氏は2代・松平泰親が岩津城、そして安祥城へと勢力を拡大すると、3代・松平信光(のぶみつ)のとき、要所に子供たちを配置。
その結果、岩津松平家、竹谷松平家、安祥松平家、形原松平家、岡崎松平家(大草松平家)、五井松平家(深溝松平家)、能見松平家、丸根松平家、牧内松平家、長沢松平家と分家を多数輩出した。
そのため、分家の中で当然、自分が宗家だと主張するケースも出て内紛になっている。





その後、西郷稠頼(つぎより)の孫・西郷清孝(西郷近宗)の頃に松平清康(徳川家康の祖父)が僅か15歳の頃に総攻撃したとも岡崎城を乗っ取ったともされるが、1524年頃に岡崎松平家(大草松平家)の三河・山中城も攻略。
1530年に現在の三河・岡崎城を築いて本拠とし、松平氏の菩提寺として大樹寺も造営した。

この松平清康に敗れて降伏し、岡崎城と所領を明け渡して従属化したのがこの記事でご紹介する松平昌久(大草松平家4代)という事だ。

2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」では、お笑いトリオ「東京03」の角田晃広さんが松平昌久役で出演される。

松平昌久は、娘・於波留(春姫)を松平清康の正室に差し出し、自らは三河・大草城(愛知県幸田町)付近で隠遁した。
ちなみに、刈谷城主・水野忠政の正室も松平昌久の娘となる。

孫の松平正親は、松平広忠・松平元康(徳川家康)にも仕えていたが1560年の桶狭間の戦いで討死。

その後、三河一向一揆となると1563年、松平昌久は吉良義昭三河・東条城の籠城に加わり、徳川家康に反抗している。
しかし、三河・東条城が落城すると大草の領地は没収され、松平昌久は行方不明となった。





大河ドラマ「どうする家康」での松平昌安キャッチコピーは「家康覚悟! 我こそが松平宗家」。
時代劇のなかで松平昌安は松平宗家の地位をしたたかに狙う野心家として描かれるようで、岡崎城に戻った松平元康に服従しつつも、今川家や三河の国衆たちと結びつき、転覆させる機会をうかがうと言う設定だ。

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