副田甚兵衛(副田吉成)のちょこっと解説~秀吉の妹・朝日姫の夫

副田甚兵衛(副田吉成)とは

副田甚兵衛(そえだ-じんべえ)は、戦国時代の武将で生没年などは不詳。
父・母など出自も不明だが、木下藤吉郎と木下秀長の妹になる朝日姫を妻にしていたとされる。
三河後風土記によると朝日姫は、最初、佐治日向守に嫁いだとされるが、その夫が死去したため、織田家の家臣・副田甚兵衛吉成に再嫁したという話がある。(諸説あり)
その縁から、副田甚兵衛(副田吉成)は羽柴秀吉の配下となり、三木城の戦いのあと別所氏に味方していた播磨・神吉城の破却を担当などした。
また、羽柴秀長宮部継潤らが但馬国を平定すると、但馬・多伊城(指杭城)の城主となっている。

1582年、明智光秀による本能寺の変にて織田信長が横死すると、但馬の海賊一揆にて多伊城が襲撃され、副田甚兵衛は逃れている。
1582年10月、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を大徳寺にて行った際に、杉原家次・桑原貞也とともに副田吉成が奉行を務めた。

1585年、豊臣秀吉は小牧・長久手の戦いに敗れ、なかなか恭順を示さない徳川家康に対して、妹・朝日姫を嫁がせるため副田甚兵衛(副田吉成)に離縁を迫った。
5万石の加増などが提示されたようだが、あまりにもひどい仕打ちだととして副田甚兵衛(副田吉成)は出家して隠斎と号すと、烏森城からほど近い愛知郡烏森村(隠斉屋敷)にて隠棲したとされる。

副田甚兵衛(副田吉成)に関しては、このくらいのことしかわかっていない。

1981年のNHK大河ドラマ「おんな太閤記」では、コメディアンのせんだみつおさんが副田甚兵衛を演じられる。

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