南殿とは【豊臣秀吉の側室】羽柴秀勝を産んだ羽柴秀吉の側室?

南殿(豊臣秀吉の側室)

南殿(みなみどの)は、戦国時代の女性で生没年は不詳。
父は山名禅高との説もあるが出自は不明と言ったところである。
羽柴秀吉が近江・長浜城主になった際に、豊臣秀吉にとって初めての子供(庶長子)「石松丸」(羽柴秀勝)を産んだと考えられている。
そのため、長浜城の南側に住まいを得たようで、南殿と呼ばれるに至ったようだ。

また、一説によると南殿は、浅井家の祐筆・石田長楽庵の娘であるお葉の方(於葉の方)と言う説もある。
この場合、於葉の方は、飛騨吉賀鷹狩りを行った際に、伊吹山の観音寺へ立ち寄るように仕込み、同じ石田一族の石田佐吉(石田三成)を引き会わせると「三杯の茶」(三献茶)に至ったともされる。
また、子の羽柴秀勝が死去すると琵琶湖に入水したという話もある。
いずれにせよ、諸説あり確定したことは言えない。

羽柴秀勝 (石松丸)

秀勝(ひでかつ)は戦国時代に生まれた豊臣秀吉の第1子ともされる男児。
母は南殿ともされるが諸説あり。
長生きできず幼少の折、1574年?に羽柴秀勝は夭折。(死去年は1570年、1573年、1576年など諸説ある)
その後、1576年、南殿は秀吉との間に女子をもうけたともされるが、また早世したと言う。
この年、羽柴秀吉の正室・ねね(高台院・北政所)は、織田信長に対して夫の不貞を訴えており、織田信長は「剥げ鼠」と秀吉を叱責する書状を返信している。

2人の子に先立たれると、南殿は琵琶湖に浮かぶ竹生島・宝巌寺にて出家。
竹生島奉加帳には、羽柴秀吉が弁財天に金品を納めたことが記されており、その中に「南殿」「石松丸」という名が見られる。
江戸時代の寛永11年(1634年)に死去したとされる。

また、長浜・妙法寺らは、羽柴秀勝の墓(供養塔)があり、その場合没年は1576年10月14日になっている。

1981年のNHK大河ドラマ「おんな太閤記」では、南殿は千種(ちぐさ)と言う役名で、俳優・女優の沢田雅美さんが演じられた。
羽柴秀勝は、橘慎之介さんが好演している。

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