八幡大菩薩の旗を掲げた代表的な戦国大名は武田信玄です。ドラマでも『疾如風 徐如林侵掠如火 不動如山』と書かれた風林火山の旗とともによく見かけます。また河越野戦で有名な北条綱成も『八幡』と書かれた黄色に染められた旗は周辺の大名から「地黄八幡」(じきはちまん)と呼ばれて恐れられていたと言われています。
そもそも語源となっている八幡神とはどのような神なのか、我が国でどのような信仰ルーツを辿ってきたのか書いてみたいと思います。
八幡神の発祥は宇佐地方(現在の大分県)で、海の「かみ」、農耕の「かみ」であったとされています。宇佐地方は国東半島に位置し、地形的には本州、四国さらには朝鮮半島にも近く接する地域です。九州地方は国造磐井が乱を起こした筑紫、南には隼人の国があることから、ヤマト国家の支配の及ばない化外の地域とされてきましたが、宇佐地方は古代日本国家の境界の地として朝廷に存在を認められていました。
また八幡神は新羅による軍事脅威から守るための軍神、地元の海神として崇められていた地方神でした。あわせて天然痘の流行と7世紀末の天武朝期から災いや病を避けるために生き物を放つ放生という行為が盛んに行われるようになったという背景もあり、病から人々を護る存在となっていました。宇佐八幡宮では毎年10月に八幡大神が神輿に乗って神幸する「仲秋祭」(もとは「放生会」)を開催しています。
朝廷の東大寺盧舎那仏造立に伴い、八幡神に大きな転機が訪れます。当時、朝廷は使を宇佐に遣わし、八幡神に大仏造立成就を祈願させましたが、これに対して八幡神は大仏造立への全面協力を宣言しました。この宣言は朝廷による鎮護国家仏教体制の整備に拍車をかけます。
その後八幡神は、749年12月に大仏鋳造後の礼拝のため神輿に乗って入京しました。当時の朝廷の中心的存在である孝謙天皇、聖武太上天皇、光明皇后が行幸する東大寺に一地方神社の神官が輿に乗り、大仏を拝むことは奇想天外な入京であり、八幡神は一躍名を轟かせる大仏の守護神さらには仏教に最も早く近づいた神となりました。
また聖武太上天皇は八幡神が通過した全ての国々で殺生禁断を命じました。八幡神を遠く九州の地から入京させることで全ての国々の神々を仏教と結びつけ、軍事脅威の鎮守として八幡神を強くアピールしました。
鎮護国家仏教体制を理想とする聖武太上天皇は八幡神の入京意義として、八幡神を置き、畿内近国を越えて天皇の支配するすべての国土の神々を仏教の道に誘うというイベント演出にあり、朝廷での八幡神の立場は盤石と思われました。
しかし聖武太上天皇の死後、鎮護国家仏教体制を否定する光明皇后・藤原仲麻呂の政権下で八幡神の存在は、公式な記録から消し去られている状況となりました。しかし769年に宇佐八幡宮から孝謙天皇が寵愛した道鏡の皇位継承の神託である「八幡神の託宣」によって復権し、781年の桓武天皇即位により八幡大菩薩を称することになりました。
八幡大菩薩となった八幡神は、860年に石清水八幡宮に勧請され、都で神仏習合が着実に進行する中で伊勢神宮に次ぐ皇室神としての地位を築きました。
平安時代には石清水八幡宮に参拝した源義家が同地で元服して自らを八幡太郎と称したことで武神として武士の崇敬を集めることになります。源平合戦における屋島の戦いで源氏側の那須与一が「南無八幡大菩薩」と唱えて弓矢を放つシーンは時代劇でもよく見られるシーンです。
八幡神への崇敬は日に日に高まり、各地から勧請を受けることになります。源氏の棟梁・源頼朝が石清水八幡宮を鎌倉に勧請し、鶴岡八幡宮寺としてまつるようになり、武士の崇敬の拠点になります。八幡神は全国の武士から武運長久の神として信仰を集め、武神としての色彩が濃くなります。
こうして中世期には武士の八幡神への信仰は目に見える形となり、「八幡大菩薩」の旗指物を掲げて戦に臨む武将が増えていきます。八幡神への崇敬は甲斐源氏に受け継がれ、甲斐源氏の武田信玄、源氏の末裔である武将は戦場で八幡大菩薩の旗印を掲げて戦いに臨むようになります。
八幡神は武神として大きな存在を示してきましたが、その存在は江戸時代でも大きく、徳川将軍家や大名による寄進や八幡宮の造営に表れています。富岡八幡宮などの「江戸八所八幡宮」が隆盛し、庶民による八幡宮めぐりといった庶民生活にも浸透してきており、武神から庶民の神としての変容も見ることができます。
その後は明治政府の神仏分離令によって八幡大菩薩の称号は禁止になりましたが、戦時中の特攻隊出撃シーンの映像でも「南無八幡大菩薩」の旗を振って特攻隊を見送るシーンが見られます。
八幡神の歴史的経緯を見ると、地方神、皇室神、武神と変容しつつ、宇佐八幡宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮をはじめ各地に八幡神を祀る数万の八幡宮がある現在は最も知名度が高い神となっています。現代の八幡宮への祈願内容は個人的な祈願がメインになり、厄除けをはじめ、交通安全、安産祈願、商売繁盛、入試合格など多様化しています。
これまで八幡神は日本の歴史に翻弄されながら変容を遂げてきましたが、今は上流階級に限定せず、人々の身近な「八幡さん」として平和と幸福を願う庶民の守護神となっています。
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