無辺と栄螺坊の解説~織田信長を巻き込んだ騒動を起こした近江の僧侶

織田信長と言えば英雄的な事績のみならず、短気や猜疑心、凝り性、執念深さと言った短所も少なからず伝わっていますが、そうしたマイナスの部分が事件を解決した逸話が存在します。その事件の中心人物が、本項で紹介する無辺(ぶへん)と栄螺坊(さざいぼう)です。

事の発端は天正8年(1580年)の3月、安土城に近い石馬寺(『信長公記』では石場寺)の僧侶・栄螺坊の下に不思議な力を持つと評判の修行者・無辺が滞在しているという噂を信長が聞きつけたことでした。この石馬寺は永禄11年(1568年)に織田氏と佐々木氏の戦争で焼け落ちていましたが、この頃は無辺による“丑時の秘法”を授かりたいと進物を捧げる人々でごった返すほどで、『信長記』によると弘法大師の生まれ変わりと称する無辺が奇跡を起こしたとする噂があったと言います。





『信長公記』によると、その無辺を栄螺坊と共に安土城の御厩に招待した時のやり取りが詳細に記されており、当初こそ信長は融和的かつ好奇心旺盛な雰囲気で問いかけますが、
信長「貴君はどこのお生まれですかな」
無辺「無辺(どこでもない)」
信長「では、唐(中国)の人か天竺(インド)のお人かな」
無辺「修行僧でございます」

この返答に早くも信長は持ち前の癇癪と猜疑心を起こし、人間のくせに三国(※2)の生まれでないとは妖怪だと言いだします。そして、火あぶりの支度をするように周囲に指示すると、無辺は出羽の羽黒(山形県庄内地方、修験道の聖地)の者だと白状しました。熱狂的な支持を受ける無辺も少し調べればただの人だと見破った信長の容赦ない詰問は、生来の洞察力を交えてさらに続きます。

無辺を売僧(※3)だと罵る信長は、彼が献じられた金品を栄螺坊に差し出しながら何度もその寺に寄宿しているのは無欲に見えてそうではないと糾弾、そして得意の神通力を見せてみろと何度も迫りました。『信長記』では神通力で再生してみろと信長が即座に処断したと記録されています。

『信長公記』でも無辺処刑の記録は変わりませんが、それに至るまでに以下のような描写がなされています。
「奇跡の力を持つ御仁は顔も眼色も優れているのに、きさまは山に住む身分の低い者に劣る者だ。それなのに女子供を騙して国土の財産を費えさせるとは不届き至極。かくなる上はこいつに恥をかかせてやるのだ!」
おひざ元の民に被害を出され、自分をも騙しにかかった無辺のやり口を屈辱だと思ったのでしょうか。信長は“屈辱には屈辱を”と言わんばかりに、無辺を裸にして縛ってしまい、俗人のように伸ばした髪をまばらに切り落としてみっともない頭にした上で街中を引き回して安土城下から退去させて制裁したのでした。

こうして解決したかに見えましたが、信長が調べ無辺はその後も不妊や病身の女性を相手にしたいかがわしい商売(※4)をしていたと言うのです。道に外れた振る舞いをしても恥じない、まさに破戒無慙の悪徳行者と言うべき無辺に対する信長の怒りは大爆発、支配地を任せてある各地の国主に無辺逮捕を命じます。程なくして無辺は捕まり、信長は彼の罪を問いただして殺してしまいました。

哀れなのは栄螺坊で、自分の寺を栄えさせていた聖人の奇跡が嘘だと断罪されてその無辺は殺されてしまい、自身も信長から詰問されます。
信長「どうして君は、あんな者を城の近くに住まわせたのかね?」
栄螺坊「…石馬寺の御堂に雨漏りがあり、修繕をする勧進(寄付金)のためにしばらく住まわせていたのでございます」

『信長公記』は、観念して平謝りする栄螺坊の弁明に対し、信長は詭弁だ、言い訳だと叱ることすらせず、銀子を30枚も与えた事を記して石場寺の一件に筆を置いています。余談ではありますが、信長がこうした寛大さを見せた理由として、前述した佐々木氏と信長の争いで石馬寺が焼け落ちてしまい、困窮した栄螺坊が無辺を招き入れて悪事を行わせたことへの負い目があったのではないかと筆者は考察しています。

無辺事件に関与しつつも寺を守ろうとした栄螺坊がその後、どのような人生を送ったのか定かではありませんが、その努力は決して無駄ではありませんでした。石馬寺は豊臣政権下の検地で寺領と山林の没収、山主や僧徒の解散を命じられる悲劇に見舞われますが、徳川氏の庇護下で復興し、この地を見守り続けています。

※1 信長記では無辺を無邊、栄螺坊も鷦鷯坊と記される。
※2 インド、中国に日本を加えたもの。古くは全世界を意味した。
※3 まいす。仏法を売り物にした金儲けに勤しむ堕落した僧侶の意味。
※4 原文は『臍くらべ』。この事件は訳によっては信長による制裁の後とも、調べたら発覚した余罪ともされるケースがあるが、本項では前者を採用。





参考文献、サイト

現代語訳信長公記下 中川太古 新人物往来社

訳注信長公記 坂口善保 武蔵野書院

石馬寺ホームページ

信長記十三

(寄稿)太田

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